2006-12-14 第165回国会 参議院 国土交通委員会 第7号
皆さん胸に星条旗のバッジを付けて、アフガニスタンに対する空爆に一言でも反対したり疑問を呈したりするようなことを外国人である私のような者が言えば、それはもう言語道断という雰囲気に、やっぱり異常心理といいますか、になってしまうわけであります。それはもうえてしてどの国でも起こることだと思うんですね。
皆さん胸に星条旗のバッジを付けて、アフガニスタンに対する空爆に一言でも反対したり疑問を呈したりするようなことを外国人である私のような者が言えば、それはもう言語道断という雰囲気に、やっぱり異常心理といいますか、になってしまうわけであります。それはもうえてしてどの国でも起こることだと思うんですね。
雰囲気といいますか、これはもう絶対にやらなきゃいかぬ、今ここでアフガンの爆撃に反対するような人間はちょっと、まあ非国民というような言葉はないんですけど、何しろまずいと、みんな胸に星条旗のバッジを付けまして、今まで友人だという付き合いを長年してきた人たちも、この件に関してはもう議論はできない、問答無用であると、これは何とかアメリカを守らなきゃいかぬと、そういう言わば日常生活の雰囲気から考えるとちょっと異常心理
異常心理なんですよ。そういう空気が日本に漂い出すと、みんな米、米、米、米と。 よくも悪くも、この日本のそういうムードに流されて、今度の法案が、急げや急げ、反対するやつは非国民だ、こういうことになっていかないように、ゆめゆめ、そのことを留意してやっていただきたい。
異常心理なんです。食べ物がなくなるということは異常心理なんですよ。 だから、そういうことを考えたときに、我が国の食糧のことを考えて、今はだれも何も考えないで、こうやってやじっている。しかし、一たびなくなったときに日本はどうなるか。今、世界の先進国は、その自給体制を整えるために必死に努力をしているんですよ。
特に、異常事態が起こる、異常心理によるパニック。これは、私初めて当選したのが昭和四十七年ですから、翌年中東戦争が勃発しました。まさに洗剤、トイレットペーパー、狂乱物価、一年生議員のときに経験したことでありますから、今でも鮮明に覚えております。いかにふだんでは想像し得ないような行動を一般国民がとるか。それに対する異常心理、これは怖いなと。 石油でああであります。
○野沢太三君 高速バスの内部が密室性ということで、飛行機の中とある程度似たような状況が生まれているということで、犯人が異常心理に陥ると、こういったこともあったのではないかと拝察をされます。ぜひひとつその点につきましてもなるべく早く、こういうものはやってもむだなんだと、全部ほかの人に知られているんだということが一つの抑止効果にもなるんじゃないかと思いますので、よろしくお願いしたいと思います。
大変大事な問題でありますが、例えば今私がお話をしたような心の、異常心理の問題について、医学部でやられていたり、あるいは教育心理でやられていたり、また基礎的な心理学については文学部でやられていたり、あるいは情報工学となれば工学部でやってしまっている。ですから、これだけ心の問題が深刻になり、そして大変重要な課題を呈しているにもかかわらず、学際的な取り組みというのが我が国においては行われていない。
おくれてしまったりなんかしますと勤務評定に影響するというようなことで、運転者は緊張していて当然でありますけれども、一種異常心理状態で運転をせざるを得ない、どうもそれが実態のようであります。現場の声を聞いてみてください。そういう声が頻繁に起きているということも事実なんです。この点についてはもう一度答弁してください。
○渡辺国務大臣 私もいまここで初めて新聞のリコピーを見せてもらっただけで、果たしてこういうことを言ったかどうかわかりませんが、一応考えられることで、これは別に与党だけでなくて、野党にしても同じことでして、やはり選挙が近いということになるとどうしても異常心理になりがちですしね、冷静な心理状態のもとでお互いが冷静に合理的にこういう問題を討論することがいいという程度の意味じゃないかと私は思っております。
しかし、教会の地区長より統一原理なるものの講義を四時間宛十日間受けるに及んで統一原理には極めて危険なる思想のあることをつきとめ、早速、子供達に深入りしない様にと忠告しましたが、時既におそく危険な思想に依って洗脳された子供達は親の手の届かない異常心理状態になっております。
異常心理学で日本有数の権威者といわれる東大神経科のH教授(本人の希望で特に名を秘す、医博)は光る瞳と虚空を結ぶ視線のナゾをこう説明する。 「人間が使命観を持ち、興奮すると瞳が光り出すことは実験のデーターで証明されています。軍隊で最前線の将兵の目が異常な輝きを示すのも、その一例です。しかし、原理研の会員は、視線が虚空であるという。これは心の視野が狭い証拠で、簡単に言えば集団ヒステリーの症候です。
家庭からする立場で、行方不明が三十二名、死亡が三名、家出が九十名、職場放棄が七十四名、学業放棄が六十一名、異常心理が四十九名、健康不良が六十一名、結婚した者十四名——これは集団結婚の関係だと思うのです。
この請願書に書かれているような内容については、日本弁護士会連合会が正式に取り上げまして調査を開始しているわけですが、現在までにこの日弁連に提出された百十九名の被害者、この人たちの実態調査の中から数字をはじいてみますと、行方不明三十二、死亡三、家出九十、職場放棄七十四、学業放棄六十一、異常心理四十九、健康不良六十一、こういった恐るべき数字が示されておるわけなんです。
そこで、次に、物価の今後の問題でございますけれども、この前の石油の第一次の値上げのときには、これは供給量が、石油が二割も三割も減るかもしらぬといった異常な前提で、何といいますか、一種の異常状態、異常心理状態、そういう中でああいうことが起こったのでございまして、まことに残念なことだったように思いますけれども、今後につきましては、ただいま、この二月——きわめて当面の一時的なことを申し上げて恐縮ですけれども
このような国民の低所得者層の生活困窮者に目をつけ、一獲千金の幻想を与え、国民を異常心理に追いやり、社会不安を醸成し、結果的に二重三重の実質増税政策を招来する今回の政府の法案には断固反対をいたします。 第二は、割増金付貯蓄の販売割り当てが、上位都市銀行に偏在をしておるからであります。過日の審議でも明らかなように、発行総額一兆二千億円のうち、その半分の六千億円は上位都市銀行割り当てとなっております。
○池田政府委員 おことばを返す気持ちは全然ないのでございますけれども、とにかくあの非常な事態のもとで、物がなくなるかもしれないというもとで、物を確保し、しかもそれが幾らででも売れるという異常心理のもとで、特定の店舗にその物を流して、末端である程度の物を売らせる場合に、御指摘のような、問題が起こる前の価格に直ちに戻すという形をとって、かりに物が流れないで物がないという形と、多少の高値ではあっても、現実
本人に窃盗癖があり異常心理なんだとおっしゃったけれども、それならそんな者をずっと情報提供者に使っていた警察というものはもってのほかだ、どっちにしろもってのほかだということになりますけれども、この鈴木というのは、これはまたあとでいろいろありますけれども、二百四十八というかぎの番号を教えたことといい、こういうことをコンドームまで持っていって関係したということを公判廷で言われ、それに対して適切な反撃をしていないという
○山本(鎮)政府委員 先ほど答弁申し上げましたようにまさにあってはならないことであり、あるべきではない事実であって、まあそういうふうに疑われたのは非常に残念なわけでございますが、しかし考えてみますとそれは被疑者がいわば言っていることであって、またこの被疑者もあとでわかったことですが、いろいろと窃盗癖があって放火もしているというようなことで、やや異常心理的な面も持っている人じゃないかというような推定も
小説ならフィクションでできるわけですが、詩というのは自然を、これをリアルに表現することでありますから、これは異常心理の人間が出てくると思うんですね、ストレスといいますか、非常に作業の流れも早くなり、単純化してくる。
それから、久米島事件の問題は、先ほど山中総務長官から御答弁がありましたように、これまた残念なことでありまして、戦場の異常心理といいますか、殺すか殺されるか、生きるか死ぬかというような場面でできたあの悲惨事は、まことに思い返すだに、二度と再びこれを繰り返してはならぬということを思います。
これもみな、最長不倒の記録をつくるための佐藤総理の異常心理でありましょう。まさにこのことに、一将功成って万骨枯るの実際を私は見た感じがする。この点について、私一人がそのように思うのではないと、このように私は確信するのであります。
これはちょっと私どもには理解できないところなんですが、やはりその時期の機内のお客さんというのは少し異常心理になっているのじゃないか。 それと、彼らの指導格である田宮というのが実は私と一番話をするのが長かったのですが、犯人田宮が言いますのは、もう私は日本へは永遠に帰らない、そこで、せっかく先生と一緒になったんだから種あかししていくよというようなことでございます。
ここに異常心理学講座、宗教病理学というのが出ております。これは、東京医科歯科大学の犯罪心理司法精神医学研究室の小田晋先生でございます。この先生が、実はこの宗教と犯罪の問題について論述をしておられるのでございます。「われわれがここで宗教病理学というのは、宗教に関する病理学と考えていただいていい。宗教そのものの病理を扱うのではなく、異常精神現象としての信仰の病態を知ろうとするものである。